BIOGRAPHY


●1990年代
バリバリの80'sバンドブーム世代である現Baの渡邉ただつぐは、女性ボーカルロックバンド、FUNNY JINXを結成し、都内のライブハウスでの活動や音源制作などに勤しむ。またそれと並行して、ビクターエンタテインメントのA&R部門にて、少年フレンド(後の19 "ジューク" )やモデルの川原亜矢子など、当時の新人や育成対象アーティストのサポートメンバーとしての仕事をこなす等、第一線で活動する。


●2003~2006年頃
かつて在籍していたバンドが解散した後、ソロ活動を行っていた現G.Voの富岡拓弥は、ポニーキャニオン傘下のブルー・ミュージックエンタテインメントより幾つかの作品をリリースし順調ではあったものの、やはりバンドを組みたいという気持ちが捨てられずメンバーを募る。そして現My Last BalladのGt, Hirotakaらと共に一度はバンドを結成するも、富岡の引きこもりがちでいい加減な性格が災いし結成直後に解散(と言うよりも破綻)してしまう。

 

●2007年

富岡、鎌倉の自宅にて完全に引きこもる。本人曰く、この時期は全く曲も書かず、ギターにも触らず、ひたすらTVゲームばかりやっていたとの事。

 

●2008年

この年、ちょうど引きこもりから脱した富岡は、やはりもう一度バンドをやりたいと言う理由でメンバー募集を始める。そんなある日「メン募サイトを徘徊するのが趣味」と公言する、これまたバリバリの80'sバンドブーム世代で、ネパールの国民的ミュージシャンであるIswor Grung率いるNamaste Bandなど、この当時もすでに幾つかのバンドを掛け持ちしていた、現Drの野村ユミが富岡の募集を発見。下北沢のスタジオにてセッションし、そのままバンド結成。バンド名を「東のエデン」と命名する。

 

ちなみにバンド名「東のエデン」の由来は、バンド名を決めるにあたり野村が富岡へ電話をかけた際、当時TV放送をしていた深夜アニメ "東のエデン" を観ている最中だった富岡が、さっさと電話を打ち切りたいが故に「''東のエデン'' で良くね?」と安易に提案したのがきっかけである。
 
また、当時の富岡が強く影響を受けていたシアトルのグランジバンド "NIRVANA" が仏教用語の「涅槃」を意味するため、それに対抗しようと、旧約聖書から「エデンの東」という言葉を引用したという説もあるが、それは誤りである。むろん同名の韓流ドラマも、ジェームズ・ディーンとも関係無い。

 

●2009年

順調な滑り出しに見えたものの、なかなかベーシストが見つからず、やむなく入れ替わり立ち代わりでサポートメンバーを迎え、幾つかのライブを経るも、この年の9月に初代Baの叶たいぎぃが加入。これにより "第一期 東のエデン" が本格的に活動開始。

 

●2010年

叶の加入後、バンドとして音源を作成する事で意見が一致するが「どうせならフルアルバムを」との結論に至り、この一年間の殆どを曲作りとレコーディングに費やす。

 

●2011年

7月に1stフルアルバム「GOLD DISK」をリリース。同時にライヴ活動を本格的に展開。FMヨコハマにて収録曲「チーチー・パッパ」がオンエアされるなど好評を博す。

 

また、タワーレコードが主催するオーディション「Knockin'n on Tower's Door Vol,2」の1次選考を全国約1000組の中から突破。最終選考である33組の中にノミネートされる。

 

●2012年

4月にバンド初となるシングル「廻るフィギュアルーム」をリリース。

 

10月、叶がバンドを離脱。そこでかねてより野村とはセッション等を通じて親交があり、当時は第一線での活動から離れ、セッションバーなどで遊び過ごしていた(本人曰くこの2000年以降の時代が、様々な音楽を聴く時間も多々あったため、一番音楽性が拡がった重要な時期だったとの事)現Baの渡邉が加入。これにより "第二期 東のエデン" 始動。

 

●2013年

4月、渡邉の加入後初となるレコーディング開始。7月にはバンド初の地方遠征(仙台)を行う。同時に "第二期 東のエデン"としての初音源の制作に着手。レコーディングスタジオでは無く、通常のリハーサルスタジオやメンバーの自宅などでエンジニアを起用せずバンド自身でセルフレコーディングを開始。

 

12月、渡邉の加入後、新たな試みとしてアコースティック編成(カホン、ベース、アコギ)でのライブも通常のバンド編成と平行して開始。

 

●2014、2015年

"第二期 東のエデン" としての音源3曲を上述の通りバンド自身でセルフレコーディングするも、新たに別作品を別の手法で制作したいとの意向が生まれ、更に7曲を世田谷のトリプルタイムスタジオにて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「崩壊アンプリファー」、Syrup16g、ART-SCHOOL、THE NOVEMBERS、indigo la End、ゲスの極み乙女。、などを手がけてきたレコーディングエンジニア、岩田純也を迎えレコーディング開始。

 

また、バンド初の自主企画「ハヴァーナイスデー」や、渡邉と野村の2人による東のエデンリズム隊企画「歌壇」などを行う。

 

●2016年〜

トリプルタイムスタジオにて制作したバンド初のミニアルバムが完成。くるりやスネオヘアーなどを手がけてきた、カフェオレーベルスタジオの原朋信の手によりマスタリングされた同作を、辰野仁(ex-高円寺ミッションズ店長)主宰のレーベル「Underpass」より今秋リリース。

日常系ゆるパンクバンド「東のエデン」とは


「東のエデン」のバンドとしての特徴は、はっきり言って何も無い。しいて言うのであれば "普通" である事が最大の特徴である。時代の先端を先取る流行りの売れ筋サウンドでも無ければ、マニアックで難解な前衛的バンドサウンドという訳でも無いし、ダンスビートやエレクトリックな打ち込み、あるいはラップを取り入れる事もなければ、ハードロックやメタル、あるいはハードコアパンクの様にカテゴライズする事が比較的容易なバンドという訳でも無い。要するにドラムス、ベース、エレキギターとボーカルからなる、ごくありふれたどこにでもいる "普通の" 3ピースロックバンドである。

 

しかし "普通" である事を最大の特徴として逆手に取った「東のエデンサウンド」は "普通で普遍" であるが故、逆に年齢や性別を越え誰もが聴いて安心し納得する受け入れ易いバンドサウンドであろう。

 

同時に一度聴いたら耳から離れず心を掴んで離さない究極なまでにキャッチーなメロディーも一見の価値アリ。"普通で普遍" だからこそ世代を問わず、誰もがポップに感じる確かな歌がそこにある。

では、”ゆるパンク”とは何なのか?


とりわけ若い訳でも無くルックスが良い訳では無い、むしろ30.40歳代から編成される「東のエデン」が10代20代の若い世代のバンド達と共に同じシーンで戦うには何を武器とするか?その答えの一つが、長年の人生と培ってきた音楽キャリアで「絶対的な普遍の強み」つまりポピュリティーこそが最強であり大切な事であると知った結果、それならば「自分達のありのままの姿で飾らないサウンドを出そう、つまり ”普通” であり、培って来た人生の "日常" で勝負 しよう」という結論なのである。

 

ならば自分達にとっての "ありのままの姿=日常"とは何か?を問うた結果「無理はしない」「自分に噓をつかない」だからこそ「がんばれる範囲内でならがんばる」「やりたくない事はやってるヒマが無いからやらない」という、どこかダラけていてゆるいながらも、頑に己の姿勢や指向を貫く独自の精神性は、我々なり "初期衝動" がもたらしたものであり、それが生み出す "Do it your self" の結果なのだ。それ故「ゆる"パンク"」と定義している訳である。

 

もうお分かりかもしれないが、つまりここで言う「ゆる"パンク"」の "パンク" とは "表面的なスタイルやサウンド" ではなく、姿勢のあり方を貫くという意味での "パンク" なのである。(ただし、他にも "鋭角な癒し系バンド" "ハードコア他力本願" "自宅警備ロック" などとうそぶいている。要はなんでも良いらしい)

最後に


確実に言える事は、年齢も、性別も、趣味も、歩んで来たキャリアや、更には影響を受けた音楽ですらもバラバラな3人が「単純に楽しい事をしよう」という気持ちで集まったバンド、それが
 
『日常系ゆるパンクバンド "東のエデン"』
 
であり、Gt.Voの富岡が「バンドは超マジメで、超真剣なヒマつぶし」と豪語する所以でなのである。